太陽の位置と日の長さで季節の変わり目を表す、春分・秋分・夏至・冬至。

1年を4等分するのは、この春分・秋分・夏至・冬至ですが、このうち祝日になっているのは何で、なぜ祝日になっているのでしょうか?調べてみました。

 

春分・秋分・夏至・冬至の中で祝日なのは?

 

春分・秋分・夏至・冬至の中で祝日なのは、春分と秋分です。

日本には、二十四節気という季節の表し方があります。

太陽の動きをもとにしている二十四節気は太陽が移動する天球上の道を横道といい、黄道を二十四等分したのもが、二十四節気です。

黄道を夏至と冬至の「二至」で二等分し、さらに春分と秋分の「二分」で四等分、それぞれの中間に立春、立夏、立秋、立冬の「四立」を入れて「八節」となります。これを15日ずつに等分したのが「二十四節気」です。

春分・秋分は、昼と夜の時間が同じになる日でもあり、春と秋に真東から太陽が昇り、真西に太陽が沈みます。

平安末期から盛んになった阿弥陀仏信仰では、極楽は西の方向にあると考えられたので、真西に沈む太陽に極楽浄土をイメージしてお経を唱えたのが、現代のお彼岸につながっていったそうです。

 

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春分と秋分が祝日の訳は?

祝日は現在「国民の祝日に関する法律」によって定められていますが、それ以前は明治6年の太政官布告「年中祭日祝日ノ休暇ヲ定ム」によって定められたのが始まりです。

その後「秋季皇霊祭」という祭日が加えられました。

「秋季皇霊祭」とは皇室の「秋分の日に皇霊殿で行われるご先祖祀り」で、毎年秋分の日に行われる歴代天皇・皇后・皇親の霊を祀る儀式です。

「秋季皇霊祭」は明治天皇のころに始まった習慣ですが、時をさかのぼれば、682年天武天皇のころ、「皇祖天神を祀りたまふ」と日本書紀に記されています。

 

はるか昔から祖先の霊を祀る週間があったので、改めて明治の時代に祝日となったのかもしれません。

春分の日は秋と同様に、春季皇霊祭が起源です。

この様に、秋分の日、春分の日が祝日となった始まりは、宮中の祭祀です。

 

夏至と冬至が祝日でない理由は?

夏至と冬至が祝日でないのは「国民の祝日に関する法律」に祝日と定められていないからです。

では、なぜ祝日と定められていないのか。

考えられるのは戦前に皇室行事として何もなかったから、ということが考えられます。

また、6月21日前後の夏至は、6月30日に夏越の大祓が行われます。

また、7月1日からの京都祇園祭もあります。

12月20日前後の冬至は、年末年始を控えています。

このようなことから、祝日に入らなかったという説もあります。

 

まとめ

子供にとっても、働く人にとっても、休みが増えることはうれしいことですね。

主婦にとっては、そうでもありませんが…。

新しいところでは、8月11日が山の日に決まったときに、「海の日」「山の日」があれば、「空の日」や「川の日」を作ってもいいと思いませんでしたか?

特に6月は祝日がないから、祝日がほしいと思いませんでしたか?

祝日が増えるとやったー!

なんて思いますが、祝日の理由を考えるのも日本という国を知るということで、面白いかもしれません。

ちなみに、余談ですが、

祝日のうち、「春分の日」「秋分の日」は、具体的に法律で月日が明記されていなくて、「春分日」「秋分日」と定められています。

「春分の日」「秋分の日」については、国立天文台が、毎年2月に翌年の「春分の日」「秋分の日」を官報で公表する日が素になるようです。