中秋の名月と並ぶ名月に十三夜があります。

古くから旧暦9月13日には、後(のち)の月として中秋の名月(前の月)と合わせて、二夜(ふたよ)の月、栗名月、豆名月などと呼ばれています。

テレビなどでは「今宵は中秋の名月です」などと中秋の名月の話題はよく取り上げられていますが、十三夜はさほどでもありません。

「十五夜をしたなら、必ず十三夜もしなければいけない、どちらか片方しか見ないのは、片見月となって縁起が悪い」と言われることもある十三夜についいてみてみましょう。

2016年の十三夜はいつ?

20016年の十三夜は

10月13日です。

暦の毎月13日夜を「十三夜」と言っていましたが、中秋の名月(十五夜)から約一か月後に巡ってくる十三夜は、十五夜に次いで美しい月とされて月を鑑賞する風習があります。

中秋の名月は中国から伝わったものですがですが、十三夜は日本独自のものです。

この季節は稲穂の収穫を終える地方も多く、また栗と豆の収穫時期でもあることか、十五夜の「芋名月」に対して、「栗名月」「豆名月」ともいわれてきました。

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十三夜の由来は?

中秋の名月を鑑賞するようになったのは、唐の時代ころからということです。

この風習が、貞観年間の頃、日本に入ってきて、貴族社会の中で広がりました。

平安時代頃には、月見の規模も大きくなって、平安絵巻にあるような詩歌や管絃を楽しみつつ、お酒を酌み交わすという、雅なものになったようです。

その後室町後期になって月を拝み、お供えをする風習が生まれ、今日に至っています。

これに対して十三夜は日本独自のもので、一説には宇多法王が九月十三夜の月を愛でて「無双」と賞されたことが始まりとも、寛平法王が催した月の宴が始まりともいわれます。

ほかにも、本朝無題詩の藤原忠通の漢詩を起源とする説や、九月十五日に詠んだ菅原道真の漢詩を後の人が「五」と「三」を間違えたとする説、先の帝の命日があったので月見をずらした説、九月十三夜を祝ったら後朱雀天皇が即位できたからとする説など、様々な俗説がありますが、はっきりとはわかっていません。

いずれにしても、月の満ち欠けは農耕文化の古の人々にとってカレンダーの役割を果たし、とても大切にされてきました。

月を崇め、感謝の気持ちを捧げるのは、今以上に日常生活に溶け込んでいたことでしょう。

十三夜の月は満月に象徴される栄華や幸福感でなく、何となく物悲しい、切なさや悲哀を感じさせてくれます。

満月と違う不完全さが、ちょうど茶の湯に象徴される「侘び」「寂」の世界観ともいうのでしょうか、なかなかオツなものです。

十三夜のお供えは?

お月見にお供えするのは月が信仰の対象であったからです。

この時期の収穫に感謝して、収穫したものをお供えするようになりました。

穀物の収穫に感謝して米を粉にして丸めて作ったのが、月見団子の始まりともいわれます。

月に見立てた丸い団子は地域によって色々な月見団子があります。

月見団子の数は十三夜には13個です。一段目に3個×3個で9個、二段目に2個×2個で4という感じで並べるといいでしょう。

この他に栗や枝豆などもお供えします。

しかし、お供え物は地方によって違います。

そして「ススキ」もお供えします。ススキは月の神様を招く依代として供えられるとか、古くからススキには魔よけの力があると信じられていたことによります。

地方によっては、ススキの葉を輪状にして魔よけにするところもあるようです。

ススキの葉を田や軒下にさして魔よけや豊穣を願う風習も残されているようです。

まとめ

十五夜の月見はすっきりしない天気が多いのに比べ、十三夜の月はきれいに見えることが多く、「十三夜に曇りなし」という言葉もあるほどです。

その意味やいわれにとらわれることなく、ともかく日々の恵みに感謝して、お月見を楽しんではいかがでしょう。

ススキやこの時期の野の花もいっしょに飾り、月見団子や栗、枝豆をお供えして、古を忍びながら風流に浸るのもいいでしょう。